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松江城の歴史

1607年
松江城築城開始
1608年
豊田城(広瀬)から松江城へ
(現在の安来にある豊田城に注目していたが、城下町向けではなく松江に改まった)
1611年
堀尾吉春、孫の忠春によって松江城天守完成
2015年
国宝指定
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松江城にゆかりのある人物

松江藩の藩主は堀尾氏三代で34 年間、京極氏一代で4年間、松平氏十代で230年間の計268年からなっている。 今回はその中でもとにかく言動がイケメンな直政と、有名な茶人で松江の食文化に 大きな影響を与えた治郷のとっておきのエピソードを紹介!

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松平直政

直政は両親から、「戦地で逃げずに戦い後世に名を残すことが親孝行だ」といわれ育てられてきた。当時十四歳であった直政は、大坂冬の陣に参戦する。やはりそれは過酷なもので、目の前の仲間が倒れていくため、皆戦意を失いつつあった。
そこで先陣を切ったのが直政である。部下はその直政に立ちふさがると、「大将が先駆けるなどありえない。 難しきときは退くべきだ。」としたが、これに対し直政は「大丈夫たる者は進むのだ。死するを栄とし、退いて生き抜くことは辱とすることである」といい、進み続けた。この若いながらも勇敢な直政の姿に、皆感心し、直政を讃えた 。

松平治郷

治郷は不昧ともいい、十九歳の時に、江戸天真寺の大巓和尚のもとで参禅し、六年目にして茶禅一味の境地に達した。そして治郷の茶風は不昧流とされ現代まで続くこととなった。 治郷にゆかりのある茶室には、明々庵、菅田庵、松江城三ノ丸の妙喜庵などさまざまである。明々庵は明快で心地よい区間であるのに対し、菅田庵は落ち着いた雰囲気だ。これは治郷の、 質素簡明な中で茶の湯の見所があるという心得がみられる場所になっている。 また、治郷はお茶にかかわっていく中で食文化を発展させる。茶の刺激を避け、茶のおいしさをより感じるようにするため、茶を飲む前に懐石料理が提供されるようになった。
治郷はタイやわかめからすみなど様々なものを好んで食べていたそう。
そして現代でも松平治郷にちなんだものが懐石料理や弁当などが提供されている。